2011年9月11日日曜日

キリスト教を恐れた日本

秀吉がなぜキリスト教を禁教にしたのか?
そしてその後の徳川幕府がなぜその禁教令を引き継ぎさらには鎖国政策を採ってきたのか?
ロナルドトビ氏の「鎖国という外交」のレビューにぽけっと氏が書いた「江戸時代日本の外交政策は実は「鎖国」ではなく、反キリスト教を国是とした、戦略的かつ管理されたものだった」との記述があった。


確かに・・
キリスト教というものをなぜそのように恐れたのか?なぜそのように鎖国までして(「鎖国」という概念は幕末の時、松平定信が「鎖国こそ幕府開闢以来の伝統である」としたところから始まるといわれるが・・)、鎖国というより、海外との交流を長崎に一本化し出入国を制限したこと・・
そして国内的には徹底的なキリシタン狩りを行い、寺受け制度で更に徹底してキリシタン禁教を明治の開国まで継承してきた。明治以降においてもキリスト教への偏見、差別は続いていった。


そこまでして日本はキリスト教を拒んできた。その結果は?

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