弟子とは・・・・?
宗教の開祖と言うのは、多かれ少なかれ、啓示を受け取ったもの、あるいは悟ったもの・・こういう要素がある。
宇宙と言うか、超宇宙というか、神と言うか、天と言うか。
それは目に見えるものではなく・・・・・心に呼びかけられた、あるいは心に響いた。ひらめいた[真実]あるいは[真理]・・・それを言葉にして、あるいは実際に行動して行いで示して、周辺の人に教えてあげる。同じ境地を味わわせてあげる。こうやって師匠と弟子の世界が現れる。
今の時代はインターネットがあり。印刷物やビデオもある。今はいとも簡単に多くの人に自分の悟ったり体験したことを伝えられる。
今でも極めて多くの人が本を書いたり。早いのはインターネットで情報を伝達している。悟ったらすぐさまツイートするらしい。
ただ昔は、情報伝達が口コミに限られていたので、周辺の人に悟りの世界を伝えて、口伝で伝えられて言った。ここに弟子の意義が大きかった。
イエスキリストはその悟りの世界を12人の弟子に伝え、その弟子たちは世界に散らばりイエスから教えられたことを身振り手振りを加えながら伝えて行った。一番弟子は「ペテロ]であった。ペテロはローマに行った。しかしローマではなく、東に行った弟子たちもいた。
弟子はその能力や個性がまちまちであるから、イエスが教えた教えも、その弟子たちによってイエスの教えの受け取り方も、理解の仕方も、またその伝え方も異なっていたに違いない。
今キリスト教というと、ローマカソリック、そこから生まれた半分アンチテーゼのようなプロテスタント。しかしこれがイエスの教えのすべてではない。エルサレムから東に行って、インドや中央アジアにその教えを伝えた弟子たちもいたのである。それが何か?
日本と宗教
宗教の無い歴史は無かった。 日本という国家を考える時、宗教を切り離して考えることはできない。 日本の現状と未来を考える時、「宗教」は重要なキーワードである。 現代、兎角「宗教」について述べることはタブー視されているような・・ だからこそ、「宗教」について考えるべきではないのか?
2012年4月7日土曜日
2012年4月6日金曜日
教団が形成されるまでとそれ以降
宗教団体の原初形態とは何か?
それは、教祖あるいは開祖と言われる人たちの[悟り]の世界であろう。
これはあらゆる宗教に共通する。
日本の宗教見ても、すべからくそうである。教派・教団の形成を夢見て開いた宗教は無い。
宗教が本物か偽者かを見抜く観点はそこにある。
最近までも似非宗教はたくさんあった。今ある宗教の中にもあるだろう。
ある宗派宗教も、社会的基盤や財産的なものが出来ると堕落して、本来の役目を果たさなくなることも多い。
開祖の立場から見れば[もういらないよ。却って私の願いとは異なっている。」と言うような宗教宗派もあるだろう。
かっては全盛今は衰退というのが実は本物なのかもしれない。問題は教えの内容がどうで、それがどのように継承され、発展していってるかが問題であろう。
それは、教祖あるいは開祖と言われる人たちの[悟り]の世界であろう。
これはあらゆる宗教に共通する。
日本の宗教見ても、すべからくそうである。教派・教団の形成を夢見て開いた宗教は無い。
宗教が本物か偽者かを見抜く観点はそこにある。
最近までも似非宗教はたくさんあった。今ある宗教の中にもあるだろう。
ある宗派宗教も、社会的基盤や財産的なものが出来ると堕落して、本来の役目を果たさなくなることも多い。
開祖の立場から見れば[もういらないよ。却って私の願いとは異なっている。」と言うような宗教宗派もあるだろう。
かっては全盛今は衰退というのが実は本物なのかもしれない。問題は教えの内容がどうで、それがどのように継承され、発展していってるかが問題であろう。
2011年9月11日日曜日
キリスト教を恐れた日本
秀吉がなぜキリスト教を禁教にしたのか?
そしてその後の徳川幕府がなぜその禁教令を引き継ぎさらには鎖国政策を採ってきたのか?
ロナルドトビ氏の「鎖国という外交」のレビューにぽけっと氏が書いた「江戸時代日本の外交政策は実は「鎖国」ではなく、反キリスト教を国是とした、戦略的かつ管理されたものだった」との記述があった。
確かに・・
キリスト教というものをなぜそのように恐れたのか?なぜそのように鎖国までして(「鎖国」という概念は幕末の時、松平定信が「鎖国こそ幕府開闢以来の伝統である」としたところから始まるといわれるが・・)、鎖国というより、海外との交流を長崎に一本化し出入国を制限したこと・・
そして国内的には徹底的なキリシタン狩りを行い、寺受け制度で更に徹底してキリシタン禁教を明治の開国まで継承してきた。明治以降においてもキリスト教への偏見、差別は続いていった。
そこまでして日本はキリスト教を拒んできた。その結果は?
そしてその後の徳川幕府がなぜその禁教令を引き継ぎさらには鎖国政策を採ってきたのか?
ロナルドトビ氏の「鎖国という外交」のレビューにぽけっと氏が書いた「江戸時代日本の外交政策は実は「鎖国」ではなく、反キリスト教を国是とした、戦略的かつ管理されたものだった」との記述があった。
確かに・・
キリスト教というものをなぜそのように恐れたのか?なぜそのように鎖国までして(「鎖国」という概念は幕末の時、松平定信が「鎖国こそ幕府開闢以来の伝統である」としたところから始まるといわれるが・・)、鎖国というより、海外との交流を長崎に一本化し出入国を制限したこと・・
そして国内的には徹底的なキリシタン狩りを行い、寺受け制度で更に徹底してキリシタン禁教を明治の開国まで継承してきた。明治以降においてもキリスト教への偏見、差別は続いていった。
そこまでして日本はキリスト教を拒んできた。その結果は?
2011年5月5日木曜日
宗教の果たす役割
今宗教の果たす役割が問われている。
日本の宗教、さまざまな国難のとき宗教はどういう役割を果たしてきたのだろうか。
東日本大震災と言う未曾有の大災害とそれに伴う原発事故、人的、経済的損失をどう補っていくのか。
地震と津波でなくなった数多くの人たちの慰霊と、残された方たちの精神的、物質的損害。
とりわけ宗教の役割は精神的被害をどう克服していくかにかかっている。
宗教の真価が問われている。単に犠牲者の霊を弔うと言うことではいけないだろう。
今回の震災で示された日本人の我慢強さや秩序を重んじる精神的文化が高く外国から評価されたが、そのような精神文化を育ててきた、日本の精神文化史を評価すべきであろう。しかしそれで満足していてはいけない。
その文化をさらに飛躍していかなければならないときである。
日本の宗教、さまざまな国難のとき宗教はどういう役割を果たしてきたのだろうか。
東日本大震災と言う未曾有の大災害とそれに伴う原発事故、人的、経済的損失をどう補っていくのか。
地震と津波でなくなった数多くの人たちの慰霊と、残された方たちの精神的、物質的損害。
とりわけ宗教の役割は精神的被害をどう克服していくかにかかっている。
宗教の真価が問われている。単に犠牲者の霊を弔うと言うことではいけないだろう。
今回の震災で示された日本人の我慢強さや秩序を重んじる精神的文化が高く外国から評価されたが、そのような精神文化を育ててきた、日本の精神文化史を評価すべきであろう。しかしそれで満足していてはいけない。
その文化をさらに飛躍していかなければならないときである。
2011年3月16日水曜日
東日本大震災 交通路の確保を急げ
時々刻々大震災の被害状況が伝えられている。
特に深刻なのが燃料の供給、また物資の供給が深刻
早急に東北自動車道を開通させるべきではないのか。東北自動車道は緊急物資の輸送のために一般車は通行できないが、緊急に一般車も通行できるようにするべきであろう。そしてまず、燃料の供給を急ぐべきである。そうして、多量の物資と人員を東北に送り込むことである。壊滅的な打撃を受けた地域は自衛隊などの投入と支援が必要だが、それ以外のところは自主的な回復を目指すべきである。
燃料が確保され、都市部に物資があふれてくるようになれば、おのずと自主回復機能も働いてくるであろう。交通手段を確保することが緊要であると思う。
特に深刻なのが燃料の供給、また物資の供給が深刻
早急に東北自動車道を開通させるべきではないのか。東北自動車道は緊急物資の輸送のために一般車は通行できないが、緊急に一般車も通行できるようにするべきであろう。そしてまず、燃料の供給を急ぐべきである。そうして、多量の物資と人員を東北に送り込むことである。壊滅的な打撃を受けた地域は自衛隊などの投入と支援が必要だが、それ以外のところは自主的な回復を目指すべきである。
燃料が確保され、都市部に物資があふれてくるようになれば、おのずと自主回復機能も働いてくるであろう。交通手段を確保することが緊要であると思う。
2011年1月1日土曜日
宗教の必要とされる現代
辛卯の年を迎えました。
内外の状況は大変厳しい時代ですが、このような時こそ宗教的価値がその価値を発揮するときです。
日本の宗教史を学びながら、国難の時にこそ、宗教がその価値を発揮してきたことを知ることができます。
今の時代を乗り越えるには、どのような宗教的な価値観を持たねばならないのか?
それをこのブログの今年のテーマにしていきます。
今年もよろしくお願いいたします。
内外の状況は大変厳しい時代ですが、このような時こそ宗教的価値がその価値を発揮するときです。
日本の宗教史を学びながら、国難の時にこそ、宗教がその価値を発揮してきたことを知ることができます。
今の時代を乗り越えるには、どのような宗教的な価値観を持たねばならないのか?
それをこのブログの今年のテーマにしていきます。
今年もよろしくお願いいたします。
2010年12月16日木曜日
日本宗教史に果たした「秦氏」の役割
これはもう、論をまたないであろう。
日本の主要宗教のほとんどが「秦氏」によって開かれてきたと言っても過言ではないことはだれもが認めることである。
そしてそれは、日本の宗教史のみならず、政治や経済の面でも大きな影響を与えてきた。
秦氏と深い関係を持って政治を行った代表的人物と言えば、和気清麻呂であろう。
和気清麻呂については私の別のブログ[吉備楽土]にも多く書いている。
日本の主要宗教のほとんどが「秦氏」によって開かれてきたと言っても過言ではないことはだれもが認めることである。
そしてそれは、日本の宗教史のみならず、政治や経済の面でも大きな影響を与えてきた。
秦氏と深い関係を持って政治を行った代表的人物と言えば、和気清麻呂であろう。
和気清麻呂については私の別のブログ[吉備楽土]にも多く書いている。
改めて思う和気清麻呂の偉大さ そして国運と言うことと言うことであらためて書き始めているのでよかったら見てほしい。
国家の興亡には宗教が深くかかわっている。この関係が正しく行われたときに国は興隆し、この関係がいびつになったときに国運は衰退している。
これは現在の日本。これからの日本を考える上で極めて重要なテーマである。
秦氏が、その渡来とともに持ち込んだ宗教性、これが重要な意味を持っているというのが今このブログの筆者が考えていることである。
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