2010年10月31日日曜日

日本の宗教史 日本宗教史の概観2

平安末期から鎌倉にかけて、様々な新宗派が誕生した。仏教の総合大学として、平安仏教をリードしてきた比叡山が、うち続く戦乱や、世の中の不安に応えることが出来なくなっていたのである。
この時代に吉備から二人の偉大な宗教家が輩出した。一人は浄土宗の開祖となった法然であり、もう一人は宋の国に渡り臨在禅を日本にもたらした栄西である。奇しくも同時代に同郷とも言える、二人が比叡山に登り、その求めた道や方向性は違っていたが、深い意味を感じざるを得ない。
その後法然の弟子である親鸞が浄土真宗を開き、栄西の弟子ともなる道元が曹洞宗を開き、さらに日蓮が登場し、日蓮宗をひらいた。
室町時代 足利尊氏が政治の実権を掌握し、京都の室町に幕府が開いてからは、武士階級が時代の主役となり、南北朝期を経て、各地に群雄割拠の時代となり、その武士階級の精神的バックボーンが、禅宗であったり各宗派となって行った。その後、各宗派は戦国武将の栄枯盛衰とともに、動乱の時代を通過して行くようになる。叡山をはじめ、主要な寺院は僧兵を持ち、武装した一国のような様相も呈して行く。
この時代、ザビエルによってもたらされたのが、キリスト教である。カソリックの宣教師たちが競って日本に上陸、宣教を展開、戦国武将の中には深くキリシタンに帰依するものも出てきた。
信長と石山本願寺の激しい戦いもこの時代を象徴するものであった。
江戸時代 激しく続いた下剋上の戦いは最後に関ヶ原の合戦で収束して行く。[厭離穢土欣求浄土]の旗印を掲げた徳川家康がこの時代最後の実権を掌握していくのである。
徳川は、宗教政策においては、秀吉のキリシタン禁教を継承し、キリシタンを取り締まるために寺受制度を設け、仏教宗派の中でも日蓮宗の不受不施派などは厳しい取り締まりの対象となって行ったのである。
江戸時代は儒学も盛んになる。おもに朱子学が尊重され、陽明学などは異学として排斥された。

2010年10月30日土曜日

日本の宗教史 日本宗教史の概観1

日本の宗教史を概観してみよう。
古来縄文の時代は、自然崇拝であった。自然の様々な動きの中に神を感じ、その恵みと恩恵に感謝する祭祀がささげられた。またこの時代から先祖祭祀もあった。
弥生時代になると磐座信仰が宗教遺跡としてに残っている。弥生文化の進展した地域には必ずとって良いほど「磐座」がある。巨岩を立て、そこで祭祀をしたのが始まりであろう。多くの場合、その磐座信仰の地が、その後仏教寺院になったり、信仰の中心地になった例が多い。各地の名刹と言われるような信仰の地には磐座から出発したものが多い。
古墳時代になると、各地に巨大古墳が造られるようになる。大和の地、それに続いて吉備の地に兄弟古墳が多い。この時代、弥生時代もそうだが、半島から多くの渡来人がやってきて、それぞれの信仰を持ち込んだ。これらが各地の神祇信仰として残ってきた。
飛鳥時代、半島から仏教が伝来した。仏教を受容するかどうかで、古来の神祇信仰を支持する物部氏と、仏教を取り入れようとする蘇我氏の争いは有名である。この戦いで蘇我氏が勝利することにより、仏教が日本に根付くようになる。
奈良時代は、仏教王国の時代である。平城京は今年1300年だが、特に聖武天皇の時、奈良に東大寺が作られ、諸国には国分寺、国分尼寺が作られ、また地方の豪族たちもこぞって、寺院を立てたので仏教全盛の時代となった。
平安京は、平城の都があまりに仏教の権勢が強くなり、政治権力にまで及ぶような危機の時代をもたらしたことに対する反省から、南都(奈良)の仏教を排し、その時代、唐の国から新しい仏教でった天台や、密教をもたらした最澄や空海を取り立て、庇護はするが、直接的に政治に関与することはさせず、精神文化の道場として、比叡山や高野山を置くようにさせた。以来天台、真言二宗がそこからわかれた様々な諸宗も含めて、日本宗教の主流を占めるようになる。一方この時代は奈良時代東大寺の建立に宇佐の八幡が寄与することをきっかけに始まった神仏習合が急速に進んで行く時代でもある。
最澄も、空海も古来の地主神をその寺院に祀り、鎮守として神仏習合の形態が進行する。逆に古来の神社には神宮寺が設けられ、こちらからも神仏習合が進んでいった。

2010年10月28日木曜日

吉備の風土と宗教

日本と宗教のブログを始めます
動機はわが郷土の宗教性
岡山県は実に多く多くの宗教家を生んでいます。
鎌倉仏教の栄西と法然、明治新宗教の黒住教と金光教
キリスト教でも救世軍の山室軍平
その他にも宗教にかかわりのあるきわめて多くの人材を輩出しています。
これはわが郷土、吉備の国の宗教的風土の故か?

そして、今日本、宗教性が求められている。
いま日本は宗教的混沌期である。
日本歴史を貫く宗教史の伝統は、明治の神仏分離令まで続いた、神仏習合の歴史である。それが明治以来、国家神道に代わったが、第2次大戦の敗北で国家神道は否定されたが、それに代わる宗教政策がないまま半世紀以上が過ぎてしまった。
今の日本には明確な宗教政策も、宗教理念もない、明治まであまりに習合した神祇信仰と仏教に頼りすぎてきたがゆえに、そしてそれが否定されたまま元にはもどっていない。
今の日本には明確な精神的バックボーンがない。様々な宗教が勝手気ままにしているだけである。
それらを一つに融合する努力をしているところも見当たらない。

明日の、未来の日本を切り開くためには、日本宗教の未来を語らなければならない。
普遍性と個別性が重要である。世界に通ずる普遍性を持つ宗教、固有の個性を持つ宗教それが重要では無いのだろうか。
日本の宗教史を紐解きながらそのことを考えて行きたい。