2010年12月16日木曜日

日本宗教史に果たした「秦氏」の役割

これはもう、論をまたないであろう。
日本の主要宗教のほとんどが「秦氏」によって開かれてきたと言っても過言ではないことはだれもが認めることである。
そしてそれは、日本の宗教史のみならず、政治や経済の面でも大きな影響を与えてきた。

秦氏と深い関係を持って政治を行った代表的人物と言えば、和気清麻呂であろう。
和気清麻呂については私の別のブログ[吉備楽土]にも多く書いている。

改めて思う和気清麻呂の偉大さ そして国運と言うことと言うことであらためて書き始めているのでよかったら見てほしい。

国家の興亡には宗教が深くかかわっている。この関係が正しく行われたときに国は興隆し、この関係がいびつになったときに国運は衰退している。
これは現在の日本。これからの日本を考える上で極めて重要なテーマである。

秦氏が、その渡来とともに持ち込んだ宗教性、これが重要な意味を持っているというのが今このブログの筆者が考えていることである。

2010年11月21日日曜日

かって誇った宗教性、精神性を失った日本 これが一番大きな危機

長い伝統の中で、日本人はその宗教性を養ってきた。まずは神に感謝する生活、人を思いやる心、誠実に生きる生き方を学んできた。
明治維新で武士階級は没落したが、その精神は「武士道精神」として、日本人の礼儀正しさや、信義に篤い精神性を保ってきた。軍人の中にはそのような精神を受け継いだ人も多くいた。しばらく前に太平洋戦争中敵兵(英国海軍)を救助した船長の話を聞いたことがあるが、助けられた英国人は、その船長の精神を[サムライスピリット」として本当に感謝していた。
しかし戦後は、日本人特有のその精神が「軍国主義」の汚名の下にすべて否定されて、何も無くなった。
先後様々な新興宗教が起こってきたが、そのような精神を教えるところは少ない。個人のご利益を中心に教団は発展しても、本来の神仏を敬う、人を愛する、国を愛するという精神の根幹を教えるような宗教や理念は欠落してしまっている。
これが日本の一番大きな危機ではないのか。
日本は本来の宗教性、精神性を取り戻さなければならない。それは国を挙げて取り組まなければならない課題である。無益な政党間の争いや、宗教間の争いは無くして、より良き国を創るために結束団結してことに当たらなければならない。もはや時がない。
どこかの覇権主義的無神論国家に脅かされて、びくびくしているような国には未来がない。
かって半島や大陸に進出した日本は、その精神おいて、他民族の宗教性や民族性を尊重することを忘れていたので失敗した。
日本は精神性のレベルをもう一段階あげて、世界のあらゆる同胞から尊敬され畏敬されるような宗教性、精神性豊かな国づくりを、目指すべきである。
和の精神を持って。

2010年11月9日火曜日

日本は「神の国」?

第二次大戦は「日本は神の国」と信じて戦ったが、勝つことが出来なかった。昨日投稿した、日系米人の物語のように、大和魂で戦った精神は残ったが、国土は灰燼に帰してしまった。
かって元寇の時は、[神風]が吹いて勝利できたのに、太平洋戦争では、核爆弾の爆風が最後吹き荒れ、敗戦で終わった。
古来日本民族が「神を貴ぶ」民族性を培ってきたは素直に認めよう。
第二次大戦の敗北は、神観のずれが、その原因のように思う。信仰の精誠を美徳とする気風は素晴らしいものがある。

その民族固有の美徳をどう継承して行くかである。

2010年11月8日月曜日

「日本は神の国」TBSテレビ 99年の愛 ジャパニーズアメリカン を見ながら

昨晩まで5夜連続で、TBS系で「99年の愛 ジャパニーズアメリカン」というドラマが放送された。
関心をもって見させてもらったが、日系米人のたどった苦労の足跡をまざまざと見ることが出来た。
同じ日本人の血を引きながら、米国で差別と闘い、さらには日米戦争の動乱の中で翻弄されて生きて生きた、人々の苦難と、それを克服してきた物語である。
このドラマの中で、[大和魂]「日本は神の国」という言葉にひかれた。
アメリカで差別の中にありながらも、それを克服して行った日系米人を頑張らして行ったのが[大和魂]であった。日米戦争が始まって、日系人が収容所に送られながら、その二世たちが米軍に志願して出来た442部隊は、ヨーロッパ戦線で目覚ましい働きをした。とくに米国が誇ったテキサス大隊の救出作戦では、数多くの犠牲者を出しながら、その作戦を成功させ、その凱旋帰国の様子が全米に報道されるや、全米の日系米人に対する姿勢が大きく変わった。
彼らの強靭な精神力と忠誠の精神に多くの米国人が感銘を受けた。

「日本は神の国」というフレーズも気になった。「日本は神の国だから負けるはずがない]と信じていた人々が多くあったのも確かである。

ここで思えば、日本は建国以来、その精神性、神を貴ぶ精神を重要視してきた民族であることは確かである。そのように思う。
だのに日本はなぜ負けたのか?米国に定住した日系人にそのスピリットは生かされた。

日本と言う国はその建国以来どこの国よりその精神性、宗教性を重んじてきた国家であったことは確かであろう。それが日本人のスピリット、精神を生み出したし、多くの文化を創造してきた。明治の開国に際しても、欧米の植民地主義に飲み込まれることなく、独自の文化を守ってきた。戦後経済大国になったゆえんでもある。

ただ日本は島国で、他の国々に対する配慮や、異質な文明に対する理解、それは少し欠けていたのかもしれない。[神国日本]が、少し独りよがり、日本だけの神様のようになり、その同じ神が等しく他の国々の神でもあることを見失っていた時に、誤ってしまったのかもしれない。

そのあたりを反省しながら、日本は「神の国」という、精神性、宗教性の高さを誇る善良な民族国家を再び目指して行けば、精神文化大国になりうる役割と使命を、未来社会に築くことが出来るであろうと思う。
皆様いかが思われますか?

2010年11月4日木曜日

日本の宗教史 日本宗教史の概観4

幕末から明治にかけて、さまざまな新宗教が現れた。多くが啓示宗教である。
黒住教、金光教、大本教、天理教などなどである。その内容はまちまちであるが、その多くが、教義の内容は別として、神道の一派として国の認可を取らざるをえなかった。いわゆる教派神道である。
これらこの時代の新宗教に共通するのは、神と人の近さである。閉塞的な封建時代の宗教には無かった、生き生きとした自由な神との交わりをそれらの宗教は教えた。
これらの宗教の中には戦時中大弾圧を受けた宗教もあった。代表的な教団が大本教である。人の道教団も弾圧された。また併合された韓国では神社参拝に従わなかったキリスト教が弾圧をうけた。
第2次大戦後は、国家神道は否定され、信仰の自由を認めた戦後体制の中で、様々な新宗教が雨後の筍のごとく現れた。仏教系、神道系、倫理道徳団体など、信仰の自由に飢え乾いた人々の心をいやすことに競って争った。
その後も様々な宗教が、登場した。外国から入ってきた宗教もある。今日本は宗教のデパートのような様相を呈している。変わらない信仰心を持ち続けているかのようであるが、日本は重大な危機の時に瀕している。
日本精神の柱は何か?外来宗教を受容しながら、それらを習合しながら独自の信仰形態を持ち続けてきた日本が、これからの時代に、そのような精神文化をどう残していくか、重大な岐路に立っている。

日本の宗教史 日本宗教史の概観3

江戸時代、徳川幕府の宗教政策は、仏教をその支配の手段として利用して来た。宗門改めや寺請制度で、民を宗教的に支配するとともに、仏教と僧侶を保護した。民衆教育の手段として寺子屋が設けられた。
徳川幕府を倒して新政府をうちたてようとした薩長政権は、大政奉還に続く[王政復古]の新政策において、これまで徳川の幕藩体制を陰で支えてきた、寺院と僧侶を排して、神道中心の国家体制を作ろうとした。そのためにはどうしても「仏」と「神」を切り離す必要があった。そのために出されたのが「神仏分離令」であった。そして、それは結果的に廃仏毀釈を伴うようになった。徳川の幕藩体制を支えてきた寺院と僧侶にはその見返りとして膨大な資金が投入されてきた。幕藩体制を否定した、新政権には、それらは斬り捨てるしかないものだったのである。
それによって奈良の大仏の開眼に、宇佐八幡の神輿が登って、神が仏を支援して始まった神仏習合の歴史と、長い皇室の仏教崇拝の歴史が断ち切られて行ったのである。
さて、明治政府は維新が成立してからも、キリスト教の禁教を解かなかった。長崎の浦上天主堂に集まった、隠れキリシタンは、再び迫害の道を歩むようになったのである。西欧社会のキリスト教文明を見てきた使節団が帰ってきて、キリスト教禁教の非を訴えることにより禁教令は解かれて行くのである。
しかし、明治新政府はキリスト教をそのまま受け入れようとはしなかった。日本の国教として[神道]を立て、西欧におけるキリスト教の役割を担わせようとしたのである。教育理念としては[教育勅語]を立てて、国家神道に不足している理念を補う形を取ろうとしたが、結局それは失敗に終わった。
世界に普及して行ったキリスト教の普遍性をと入りれる事が出来なかったがゆえに、世界から孤立し、第2次大戦の敗戦の結果ともつながって行くのである。

2010年10月31日日曜日

日本の宗教史 日本宗教史の概観2

平安末期から鎌倉にかけて、様々な新宗派が誕生した。仏教の総合大学として、平安仏教をリードしてきた比叡山が、うち続く戦乱や、世の中の不安に応えることが出来なくなっていたのである。
この時代に吉備から二人の偉大な宗教家が輩出した。一人は浄土宗の開祖となった法然であり、もう一人は宋の国に渡り臨在禅を日本にもたらした栄西である。奇しくも同時代に同郷とも言える、二人が比叡山に登り、その求めた道や方向性は違っていたが、深い意味を感じざるを得ない。
その後法然の弟子である親鸞が浄土真宗を開き、栄西の弟子ともなる道元が曹洞宗を開き、さらに日蓮が登場し、日蓮宗をひらいた。
室町時代 足利尊氏が政治の実権を掌握し、京都の室町に幕府が開いてからは、武士階級が時代の主役となり、南北朝期を経て、各地に群雄割拠の時代となり、その武士階級の精神的バックボーンが、禅宗であったり各宗派となって行った。その後、各宗派は戦国武将の栄枯盛衰とともに、動乱の時代を通過して行くようになる。叡山をはじめ、主要な寺院は僧兵を持ち、武装した一国のような様相も呈して行く。
この時代、ザビエルによってもたらされたのが、キリスト教である。カソリックの宣教師たちが競って日本に上陸、宣教を展開、戦国武将の中には深くキリシタンに帰依するものも出てきた。
信長と石山本願寺の激しい戦いもこの時代を象徴するものであった。
江戸時代 激しく続いた下剋上の戦いは最後に関ヶ原の合戦で収束して行く。[厭離穢土欣求浄土]の旗印を掲げた徳川家康がこの時代最後の実権を掌握していくのである。
徳川は、宗教政策においては、秀吉のキリシタン禁教を継承し、キリシタンを取り締まるために寺受制度を設け、仏教宗派の中でも日蓮宗の不受不施派などは厳しい取り締まりの対象となって行ったのである。
江戸時代は儒学も盛んになる。おもに朱子学が尊重され、陽明学などは異学として排斥された。

2010年10月30日土曜日

日本の宗教史 日本宗教史の概観1

日本の宗教史を概観してみよう。
古来縄文の時代は、自然崇拝であった。自然の様々な動きの中に神を感じ、その恵みと恩恵に感謝する祭祀がささげられた。またこの時代から先祖祭祀もあった。
弥生時代になると磐座信仰が宗教遺跡としてに残っている。弥生文化の進展した地域には必ずとって良いほど「磐座」がある。巨岩を立て、そこで祭祀をしたのが始まりであろう。多くの場合、その磐座信仰の地が、その後仏教寺院になったり、信仰の中心地になった例が多い。各地の名刹と言われるような信仰の地には磐座から出発したものが多い。
古墳時代になると、各地に巨大古墳が造られるようになる。大和の地、それに続いて吉備の地に兄弟古墳が多い。この時代、弥生時代もそうだが、半島から多くの渡来人がやってきて、それぞれの信仰を持ち込んだ。これらが各地の神祇信仰として残ってきた。
飛鳥時代、半島から仏教が伝来した。仏教を受容するかどうかで、古来の神祇信仰を支持する物部氏と、仏教を取り入れようとする蘇我氏の争いは有名である。この戦いで蘇我氏が勝利することにより、仏教が日本に根付くようになる。
奈良時代は、仏教王国の時代である。平城京は今年1300年だが、特に聖武天皇の時、奈良に東大寺が作られ、諸国には国分寺、国分尼寺が作られ、また地方の豪族たちもこぞって、寺院を立てたので仏教全盛の時代となった。
平安京は、平城の都があまりに仏教の権勢が強くなり、政治権力にまで及ぶような危機の時代をもたらしたことに対する反省から、南都(奈良)の仏教を排し、その時代、唐の国から新しい仏教でった天台や、密教をもたらした最澄や空海を取り立て、庇護はするが、直接的に政治に関与することはさせず、精神文化の道場として、比叡山や高野山を置くようにさせた。以来天台、真言二宗がそこからわかれた様々な諸宗も含めて、日本宗教の主流を占めるようになる。一方この時代は奈良時代東大寺の建立に宇佐の八幡が寄与することをきっかけに始まった神仏習合が急速に進んで行く時代でもある。
最澄も、空海も古来の地主神をその寺院に祀り、鎮守として神仏習合の形態が進行する。逆に古来の神社には神宮寺が設けられ、こちらからも神仏習合が進んでいった。

2010年10月28日木曜日

吉備の風土と宗教

日本と宗教のブログを始めます
動機はわが郷土の宗教性
岡山県は実に多く多くの宗教家を生んでいます。
鎌倉仏教の栄西と法然、明治新宗教の黒住教と金光教
キリスト教でも救世軍の山室軍平
その他にも宗教にかかわりのあるきわめて多くの人材を輩出しています。
これはわが郷土、吉備の国の宗教的風土の故か?

そして、今日本、宗教性が求められている。
いま日本は宗教的混沌期である。
日本歴史を貫く宗教史の伝統は、明治の神仏分離令まで続いた、神仏習合の歴史である。それが明治以来、国家神道に代わったが、第2次大戦の敗北で国家神道は否定されたが、それに代わる宗教政策がないまま半世紀以上が過ぎてしまった。
今の日本には明確な宗教政策も、宗教理念もない、明治まであまりに習合した神祇信仰と仏教に頼りすぎてきたがゆえに、そしてそれが否定されたまま元にはもどっていない。
今の日本には明確な精神的バックボーンがない。様々な宗教が勝手気ままにしているだけである。
それらを一つに融合する努力をしているところも見当たらない。

明日の、未来の日本を切り開くためには、日本宗教の未来を語らなければならない。
普遍性と個別性が重要である。世界に通ずる普遍性を持つ宗教、固有の個性を持つ宗教それが重要では無いのだろうか。
日本の宗教史を紐解きながらそのことを考えて行きたい。